【コラム】加害者にも被害者にもならない
我々は天之御中主神という本当の中心と繋がらなければならないといつもお話させていただいていますが、人はどうしても表面的なことばかりを見てしまいがちです。
表面的なことばかりを見ていると、加害者と被害者に二極化していくのです。
前世で被害者になった人は今世では加害者になっています。
それを入れ替わりながら繰り返していくだけです。
ですが、我々はそれを超えた創造者にならなければなりません。
(「読むだけで龍神と繋がる本」横田和典著 18ページより抜粋)
何かしら、自分自身が苦境に立った時、上手くいかない時、それを人のせいにしてみたり、人の悪口を言うことで憂さ晴らしをしようとしていることはないでしょうか。
もしくは、「これだけ自分は不幸なのだ」ということを他人にアピールし、同情を買おうとする。
トラウマや毒親という言葉を理由に、今の不幸な境遇を正当化しようとすらしてしまうのですから、人間というのは不思議なものです。
生きていれば、漠然とした不安や恐怖が背後に隠れていることを感じる瞬間があります。
例えば、体調を崩した時、人は死の恐怖を遠くに感じています。
仕事が不調になれば、「生活していけなくなったらどうしよう」と焦ります。
対人関係がこじれると、いつか訪れる孤独を予期して不安はより強くなります。
今・生きている、この世界と繋がっている、という感覚が薄くなればなるほど、不安という感覚は強まっていくようになっているようです。
実はそういう不安や恐怖を感じた時ほど、これまでの生き方を見直し、一つ上の段階に進めるチャンスなのですが、多くの場合この不安や恐怖と向き合うことが出来ません。
向き合ってしまえば、これまで築き上げてきた自分のアイデンティティが壊れてしまうと思い込んでいるのですが、そういった自分の本心すらも中々気付かないものです。
その恐怖から逃れるため、「私は親から受けたトラウマがあるから」「上司が理解のない人だから」と、他の正当に見える理由を探しているだけなのです。
もし、誰か本当に許せないほど虐げられている人が身近にいるとしたら、その人とは前世から強い縁があったということです。
その人のことを、職場でも家庭でもいつも考えていませんか。それだけその人のことが気になるということは、縁の強い証拠です。
そして、今虐げられているということは、前世では自分がその人を虐げていたということです。
それに気付くことがまずスタート地点になります。
そこから、何を選択するかが大切なのです。
誰かが悪いと否定することも、自分が悪いということを正当化することも、全て本質から外れていってしまうことです。
本質から外れれば外れるほど、自分の魂の部分は常に満たされない感覚が付きまといます。
比較や否定のパターンから抜け出して、本質の部分と真っ直ぐに繋がることが、私たちが本来課せられた宿題なのかも知れません。
(文・嶋立歩美)
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