人間は、いつも勘違いしてしまう
いつも有り難うございます。嶋立歩美です。
ものすごーく、久しぶりに、
かつてしんどかった時の夢を見ました。
何年ぶりかな。
私は、十数年前に今の師匠である横田和典先生に出会い、師事しました。
それまで私は、何故か生きた心地がしていませんでした。
何故かは、本当に分かりません。
あの時横田先生に出会わなければ、
私は生きていなかっただろうな、と思います。
すごく突き詰めて考えすぎる質ですので。
生きていても、生きながらに死んでいるような状態だったろうなと思います。
横田先生からは、あらゆることを教わりました。
横田先生に出会ってしばらくして
本当に自分を変えたいと思い、
横田先生が道院長をされている少林寺拳法に入門しました。
私は、常に生きた心地がしなかったので、
早く楽になりたいと思っていました。
でも、少林寺をはじめてから、
苦しみは一層増しました。
横田先生が怖かった訳ではありません。
(愛ある厳しさはありましたが)
稽古をしていると、
見たくない自分の負の感情を
ありありと見せつけられるんです。
押し寄せてくるんです。
「ほら、これがお前の見ようとしなかった本当のお前だ」
「ほら、これがお前の嫌いなお前だ」
そんなふうに。
怖い。逃げたい。
助けて欲しい。
でも、自分で選んだことだから逃げられない。
毎回の修練が怖くて、
修練場所に向かうときはいつも吐き気に見舞われるほどでした。
自分の変に賢いアタマが、高過ぎる理想を産み出して、
理想と現実のギャップに苦しんで、
大号泣する夜も沢山ありました。
(なんか暗い話でごめんなさいね)
いや、泣きすぎてアバラ折れるんじゃない?
くらい、泣いたことも数知れず。
あの頃、あの時、たしかに
私は、「底」を見ました。
確かに衣食住は足りていましたが、
私の中では確実に、「底」でした。
私は、最低や。何の価値もない。
汚い存在や。
おらんほうがマシや。
と、本気で思いました。
それから、
今から数年前に横田先生が「業謝行」を授かり、人に施すようになって
私も業謝を受け始めると、
少しずつ、霧が晴れるように
まさに、薄皮が剥がれていくように
楽になってきました。
何かの呪いが解けたみたいに。
やっと、息が出来る。
やっと、人の顔みれる。
そんな感覚です。
横田先生に出会って、武道を初めて、
私は「底」を見た。
その経験は、辛いけれど素晴らしいものでした。
人はね、必ず勘違いします。
自分の考えで、世の中を動かしている。
自分の力で、人生は切り開ける。
努力すれば、いつか成功する。
でも、人間はそんなものじゃないですよ。
私は、徹底的に自分を否定してきました。
生きる価値はないと。
でも、私は、こんな私でも
「生かされている」
私の力を超えた、
私の意思を超えた、
大きな大きな力によって。
生きている、それだけでも物凄く不思議なことなのだと、
奇跡的なことなのだと、
理屈ではなく、「底」を味わうとそう感じるのです。
だから、どんなことがあっても本当に有り難いとしか思えないです。
私は、今でも「底」からの目線があるからです。
自分が凄い、自分が正義だなんて、思えないです。
普通の日の、何気ない
家族で食べる晩ごはんが幸せやなあ
とか、そんな感じで、
私の人生はそれが全てです。
いやいや、闇が出ましたね(笑)
繰り返しますが、
人間はいつも、勘違いします。
生きていて、当たり前だと。
生きている不思議、
「有り難さ」に戻れた時、
人間は、本当の意味で人間らしくなっていくのだと思います。
(嶋立歩美)
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