ハッピーは宇宙的なのか
先日のブログ記事で、10月不思議の会の感想といいますか、私が伺ったお話を主観でまとめてみました。
不思議の会から2日経ち、多すぎる情報量が少しずつ体に馴染んできます。
横田先生は、
「私たちは考えていない。思っていない。
思っているようで、思わされている。
自分の考えなんて無い。」
ということを、繰り返し繰り返しおっしゃっていました。
何度も繰り返さないと、人間はすぐにそのことを忘れてしまうからです。
そして、自分の意識が
・フィクションの世界から影響を受けているのか?(社会的集合的無意識)
・魂の計画(宇宙意識)から影響を受けているのか?
これを、よくよく感じなさい。とおっしゃるのです。
私たちは、思っているようで、思っていない。
「神の見えざる手」の働きにより、ただただ宇宙の計画どおりにこの世界を作り上げてきたわけです。
そして、これからはそれも変わらない。
それでも、フィクションの世界が好きな人はこれからもフィクションの中でグルグルと回り続けますし、
本質にぐっと繋がる人は宇宙から必要とされて、自然とうまく行く。
そういう時代になるそうです。
私がふと気になったのは、最近の「ワクワクすることにアンテナを向けよう」という世の中のスピリチュアルの流れです。
ワクワクって、とても曖昧で、怒られるかも知れないけれど「ずるい」言い方のようにも聞こえます。
ワクワクすれば何やっても良いのかというとそうではなく、やっぱりどこと繋がっているのかは放棄せず、感じていかなければいけません。
ワクワク=良いこと、の裏には
ワクワクしない=悪いこと も必ず陰陽の法則が生まれるわけです。
でも、それも違うんですよね。
良いことも、悪いことも、ワクワクもクヨクヨも、全部は「思っているのではない、思わされている」。
だから、全部追いかけずに祓っていく。
温かい晴れの日だけでなく、雷の日や凍てつく寒い日もある、というのが宇宙ですから「エブリシング、ハッピー」が宇宙的かというと、違和感があります。
一瞬一瞬、忘れない。
私は、思っているのか、それとも、思わされているのか、ということを。
その繰り返しの中で、「本当に繋がっているのか」という審美眼も養われていくのではないかと思います。
見返りを求めず(笑)。
淡々と、ですね。
(嶋立歩美)
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