縛りあう関係か、活かしあう関係か
いつも有り難うございます。嶋立歩美です。
先日、いつもの武道の稽古会がありました。
もはや希少な機会ですが、師匠である横田和典先生に見ていただきました。
二人一組になって、
「相手が自分を背負い投げしにきたときに、
どう処するか?」
という技をやりあいます。
しばらく、バタンバタンと技をかけあって……
横田先生は、何も言わずにそれをじっと見ています。
どこを見ておられるのか……汗
何もおっしゃらないのが、一番怖い。
そして、一時間ほど黙って見守ったあと、横田先生が一言、
「全員、相手の心を縛るようなことをやっている。
互いに、心を縛りあっている」
と。
頭で考えて、技を行使しようとしているけど、
相手のことは全然感じていないのだ、と。
ガビーーーーーン
ガビガビーーーーーーン
何か……一番言われたくないことを言われた気がする。
「相手をどうにかしてやろう」
という、ヤラシイ気持ちを見られてしまった気がする。
しかも、その気持ちが相手を縛っていたとは……。
知らず知らずのうちに、相手との壁を作っていたのですね。
そして、この些細なことが、
対人関係や社会生活に波及していくわけです。
私たちがとっても苦手なこと。
それは、「聞く」ことです。
ただ聞き流すのではなくて、
「心を開いて聞く」
「相手を感じる」
これが、中々できない。
ちゃんと聞いているようでも、
じつは自分の中の思い込みと会話していることのほうが多いですよね。
横田先生には、いつも
「その人の魂の計画がある、
魂の方向性がある」
と教えていただいています。
互いにその魂の方向性を高めあうような関係でなければ、
相手の魂の方向性を無視して、
縛りあう関係になってしまう。
それは、想像するだけで悲しい。
使い古された言葉になってしまうかもしれないけど、
やっぱり「自分を消していく」という作業をコツコツやるしかない。
私も活かされたいし、
周りも活かしたい。
そして、皆で幸せになりたい。
そんな大それたことを思ってしまう私は、ワガママなんだと思います。
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