私たちが、わざわざ生まれてきた意味は
いつも有り難うございます。嶋立歩美です。
先日、師匠の横田和典先生に導いていただき、
何人かのご縁ある方々とともに
聖地を巡る「魂旅」へ行って参りました。
「人・場・無為の力」
を体感する旅ですので、
誰と、どこに、行くか。
これがとても大切なんですね。
どこを廻ったか?については、ここでは敢えて申し上げません。
活字ではとても言い表せないです。
なので、そこで経験したこと、
体感したことをもとに得たインスピレーションを
何か共有できたらなと思います。
そろそろ時期的にも公表しますが、
私は今、お腹のなかに新しい命を授かっています。
だから、やはり
「いのち」
というものにとてもフォーカスして考えることがとても多いですね。
私は、一体どういう存在なのか?
そして、あなたは、一体どういう存在ですか?
名前
性別
出身
学歴
賞歴
肩書き
仕事
家族の中での役割
そういうものではなくて。
そういうものを脱ぎ捨てて。
私は、何?
あなたは、何?
私は、そのことを
とある、ものすごい洞窟のなかで
体感させていただきました。
そして、感じました。
私は
「なにものでもない」。
なにものでもないのです。
ただ、呼吸があるだけ。
息を吸う、吐く
ただ、それだけの存在です。
洞窟のなか、真っ暗闇の中で、何にも見えず
どこからが自分の体で
どこからが空間なのかすらわからない
立っているのか浮かんでいるのかもわからない
そんな体験をしました。
ただ、呼吸のみ。
なにもない。
それが、私たちという存在の根源です、
と教えていただきました。
すると後になって、
同じ体験をされた参加者の方がこんなことをおっしゃっていました。
「あまりに真っ暗だから、
つい、光を探してしまいました」
と、何故か恥ずかしそうに
恐縮されながら。
でも、私は
すごーく、分かる分かる!と思いました。
私たちが生きている意味は、
きっとそういうことなんじゃないかと思ったんです。
暗闇は、宇宙そのもの。
でも、私たちは、
真っ暗で、温かくて安全なママのお腹の中からわざわざ(笑)出てきて、
光のある世界にやってきた。
それは、きっと何らかの
「光」を求めてなのではないか思うんです。
その衝動こそが、
魂からの突き上げなのではないかと。
肉体を持つなんて、苦しいし、重いし、
しんどいのに、
わざわざ、光を求めてやってきた。
それが、私たちです。
それが、「求める」ということです。
どんな光を求めるのか?
それは、全員がきっと違う。
だから、他人とは比べられない。
ただ、自らの衝動の求めるままに進む。
魂の計画って、
そういうものなのかも知れないと思いました。
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